みんからきりまで

きりみんです。

メンタルを崩して鬱っぽい症状になってからの半年間を振り返る

年末なのでいろいろ振り返ります。

今回は夏頃にメンタル面の体調を崩して鬱っぽくなってからの半年間を振り返りたい。
「鬱っぽい症状」と書くのは、実際には明確にうつ病であるという診断を受けたわけではなく、自己診断として鬱に近い症状であると考えているだけだからです。

事の始まり

今年の6月末で会社を辞めた。
理由などについては以下のエントリに書かれているが、今あえて付け加えるとしたら、辞めた当時からpaymoの開発が凍結されることは知らされていて、もともとプロダクトへの愛着から入社した身としては残る理由があまりなくなってしまったというのがあった。

kirimin.hatenablog.com

7月は休暇を取っていた。
この期間はちょっとしたWebサービス開発の勉強をしたりイラストを描いたり、上海へ旅行したりして過ごしていた。
この頃から実は若干体調があまりよくない状態は始まっていた。

kirimin.hatenablog.com

上のエントリで書いたように、ぼくは不安症状のために心療内科に通っていて、投薬を受けてから症状が改善していたのだけれど、この頃から徐々に薬が効きにくくなったと感じていて、薬の量を増やしてもらったりしていた。

micro-kirimin.hatenablog.com

この頃から、上のエントリのように「自分は本当はあまり能力がないエンジニアなのではないか」というような事をよく考えるようになっていた。

しかし、休暇中というのは時間があるので余計なことを考えすぎてしまったり、仕事による承認が得られなくなったりするので、そのタイミングでメンタルが下降気味になる事に対してはそれほど危機感を持っておらず、「また働き始めたら良くなるだろう」と考えていた。

体調を崩し仕事が出来なくなる

8月になり新しい会社で働き始めた。
やる気はあったものの、慣れない環境で緊張していたのもあり、やはり若干体調がよくない状態が続いていた。
しばらく働いていると、ちょうど現場のタイミング的にあまり自分のタスクがない状態になり、比較的手持ち無沙汰な状態が続くようになった。
「はやく成果を出して職場で居場所を見つけたい」という気持ちと、無理やりタスクを探して毎日時間を潰すような日々が続き、仕事が次第に辛くなってしまった。

また、そのような状態でビジネスについて深く考え語る同僚たちを見て、「今の自分はこれだけの事が考えられる状態ではない。頭が働かない。自分の意見を求められたらどうしよう」と不安になり、とうとう「自分はここで働いていけるだけの人間ではない」と思ってしまうようになった。

今考えると、当時はすでに頭があまり働かない症状が出ており、自分の考えや意見を持って積極的に動けるような状態ではなかったのだと思う。

仕事を休みがちになり、とにかく現実から逃げ出したいという気持ちしかなくなり、最終的に入社から1ヶ月ほどで体調不良を理由に退職を申し出た。
休職という選択も勧められたが、当時の自分は仕事に復帰する時のことまでは考えられなかったし、一度様々なプレッシャーから開放されたいという気持ちがあったので、退職させていただくことにした。

micro-kirimin.hatenablog.com

上のエントリは会社を辞めた直後に書いたものです。

何も出来ない日々が始まる

会社を辞める前から頻繁に相談をしていた母親からは、仕事を辞めれば楽になり体調も回復するだろうと言われていたが、実際にはそうはならなかった。

正社員として堂々と転職したにも関わらず1ヶ月で退職してしまったという「やってしまった」感、自分はやはり仕事が出来ない無能な人間なのだという絶望感、そして偶然にも様々な事情により現金の貯蓄があまり無い状態で収入が途切れてしまったことにより、このままでは数ヶ月も経たずに生活が出来なくなってしまうという恐怖により、更に苦しい状態に陥ってしまう。

この頃、仕事を辞める前後から、自室にいても身動きが出来ないという状態になっていた。
インターネットを見る気力もなく、アニメを見る気力も本を読む気力も音楽を聴く気力もなく、ひたすらに睡眠と空想の間を彷徨うような日々を送っていた。

特に朝から昼にかけてが一番体調が悪く、夕方になると少し意識が回復してきて、絵を描いたりアニメを見たりする日もあった。

この頃に「うつ病九段」という本を読んだ。突然うつになったプロ棋士の闘病エッセイだ。

この本に共感すると共にとても励まされた。
自分の今の症状が一体どれだけ続くのか全く分からない中で、「もしかしたら数カ月後には回復しているかもしれない」という希望と、「このまま何年も休養することも考えなければならないかもしれない」という恐怖の間で揺れ動いていた。

正直、この時は本気でエンジニアという仕事を辞めて実家での引きこもりに戻るという選択肢も考えていた。

この頃、知り合いから業務委託での仕事の話をもらい、とても有り難かった。
まだ自分に声をかけてくれるという事自体がうれしかったし、直近の生活への絶望感が和らいだ事で少し心に余裕が生まれた。
10月から週3日の契約で働くことになった。

9月の半ば頃になると少しずつ落ち込んだ気持ちも落ち着いてきて、気晴らしに絵の練習をしたり、実家に帰り美味しいご飯を食べさせてもらったりして、少しずつ良くなってきているのかもしれないと感じるようになった。
Twitterでは様々な人に応援してもらったり、尊敬するエンジニアの方から温かいメッセージを貰ったりして励まされた。

しかし、9月の終わりが近づくと、また症状が悪化してきて、またもや一日中寝たきりの状態に戻ってしまった。
こんな状態で働くことが出来るのかと不安だったが、経済的な問題もありとりあえず働いてみるしかなかった。

週3で働き始める

体調のせいで頭が全く働かなくて仕事が出来なかったらどうしようかと不安でいっぱいだったが、働き始めるとなんとか仕事に集中する事が出来て少し安心した。
仕事内容はかなり難しく8時間フルに頭を回転させなければ進まないようなものだったが、かえって余計な事を考える暇がなくて楽という側面もあった。
しかしやはり仕事は疲れるので、週3日でも体力の限界という感じがあり、休日になると寝込んで動けなくなってしまう。

8月から9月は、自分への自信のなさやエンジニア生活への疲れなど感情からくる体調不良という感じだったが、10月頃は気持ちの上では「もっとバリバリ働きたい」「早く体調を治して以前のように学習やアウトプットをしたい」と思うようになってきているのに、体調や気力がまったくついてこず一日中ベッドから動けないというような状態で、むしろ症状は悪化しているのではという気もしていた。
食欲もあまりなく、お酒も飲めなくなり、生きてるだけで精一杯というような感じだった。
これらの症状は、この体調不良が単なる一時的な疲れや気分の落ち込みから発生した単純なものではなく、病気なのだと痛感させられた。

その後も体調が少し良くなったりまた大きく落ち込んだりを繰り返していて、落ち込む時はまだ「とても回復するとは思えない。やはり仕事を辞めて実家に帰るしかないのかもしれない」と考えていた。

最初は11月からは週4にという話だったが、まだ体調が安定しないのでという理由で12月からに伸ばしてもらった。

週4勤務になる。そして転機

12月の始め、ちょうど週4勤務が始まるタイミング、大きな体調不良の波が来て落ち込んだ次の週、ハッキリと感じる変化があった。
それまでは体調が良いといっても、どちらかというと安定しているというだけで、体調を崩す以前と比べたら明らかに様々な事に対する意欲や興味が減衰し体力も大きく低下した状態が続いていた。

しかし、その週は体調を崩す以前に近いレベルで前向きな気持ちになれた。
職場での口数も増え、今まではわりと自分の業務を行うので精一杯だったのが、職場の様々な状況が見えるようになった。
急にアウトプットがしたくなり、Qiitaのエントリを書いたりアプリを作り始めたりした。
それまでは人が多いところは厳しかったので控えていたが、久しぶりに参加した勉強会では友人たちと気さくに会話することが出来た。

そして不思議なことに体調が良くなると同時に、早朝に何度も目が覚めてしまうという症状が現れるようになった。
まるでスイッチを切り替えて体質が変わったかのようだった。
一体なにが功を奏したのかは分からないが、それ以来、今に至るまで体調がよい状態が続いている。

今に至る

そんなわけで、最近は体調がだいぶ回復した状態にある。
結局の所、何が病気の原因になったのかも、何が回復の原因だったのかもよく分からない。
交通事故にあったようなものだと考えている。

鬱状態の時に心がけていた事は、とにかく自分を褒めて「えらい!」を口癖にするという事だった。
また、体調が大きく回復する直前に考えいたことは、「今までの自分は、もっとたくさん勉強してもっとたくさんアウトプットしなければという気持ちに追い詰められており、少しワーカーホリック状態だったかもしれない。もう少し日々の生活を余裕をもって文化的に暮らすことを意識してみよう」という事だった。

もちろんこんなふうに考えるだけですぐに病気が治ったら苦労しないが、どうやら自分を肯定するという行為は治療として有用らしいということは聞いた。

また症状が悪化しないとは誰にも言い切れないが、とりあえずはまだエンジニアとしてやっていけそうである。
心配してくれた知り合いの皆さん、ありがとうございました。