みんからきりまで

きりみんです。

アウトプットの結果はだいたい期待通りには返ってこない

ポエムです。

アウトプットに挫折してしまう人

現代のインターネット社会において、特にエンジニアなどの技術職の場合、アウトプットをすることが大切とよく言われる。
ここでいう「アウトプット」というのは、例えばブログを書いたりだとか、作品を作ったりだとか、発表をしたりだとかだ。

しかし、アウトプットをするというのは向き不向きがあるようで、苦手な人も多いようだ。
純粋にアウトプットが性に合わないという人もいて、そういう場合はそれはそれでいいと自分は思う。
決して自分の成果や能力をオープンにアピールしなくても優秀な人はたくさんいるし、そういう人は有名ではないけれど確実に評価されきちんと仕事を得ている。

一方で、アウトプットをして承認されたいと思っていながら、それが上手く出来ない人というのもいるようだ。
自分の観測範囲だと、特にアウトプットのハードルが上がりすぎていて、その高いハードルを乗り越えた結果が期待していたものと違うことで心が折れてしまうパターンなどが多いように思える。

期待どおりの結果が返ってくることは少ない

ここで一つ自分の経験則として共有したいのが、表題にある「アウトプットの結果はだいたい期待通りには返ってこない」ということだ。
これは特に最初のうちはそうで、もちろん自身のアウトプットの質の問題もあるが、タイミングであってりとか、その人の元々の知名度や固定ファンの多さなどの外的要因により大きく左右される。

しかし、やはり何かをアウトプットする時というのは反響を期待してしまうものだ。
例えば、自分はエンジニアになったばかりの頃から個人でいくつかアプリを作って公開したりしているが、だいたい「これはよく出来ている!一秒でも早くリリースしたい!」と思ってリリースしても、1ヶ月で数~数十ダウンロードしかされない事が普通にある。

これは何でもそうで、イラストを投稿する時だって「これは力作だ!10000いいねされるに違いない!」と思って投稿してもスルーされるし、ブログだっていつも「これはホッテントリ間違いない!」と思って書いているが0ブクマの時だってある。

ここで、心が折れてしまう人がいる。いや、ぼくだって心が折れそうになる。

継続や時の運によって期待以上の結果が返ってくることもある

一方で、そのようなアウトプットを継続することで、時々思わぬ反響が得られる場合もある。
完全に運が味方した場合やホットなネタに便乗した場合などもあるが、そうでなくても評価して貰えることもある。

この「結果」というのを完全に自分でコントロールすることは難しいが、心が折れないためにいくつか知っておいた方がいいことはある。

アウトプットを継続する

一番大切な事はこれだと個人的には思う。
なぜなら、多くの人は何かを続ける事自体のハードルが高く、やめてしまうからだ。
継続し続ければ、それだけヒットを飛ばせる可能性も増えるし、知らない間に知名度があがりジワジワと固定ファンが付いてくれているかもしれない。
また、継続してアウトプットしているという事実そのものが、その人の信頼に繋がり、たとえヒットを飛ばさなかったとしても評価や知名度に繋がる。

アウトプットが思うようにいかないと、すぐにリセットしたくなってしまう癖がある人もいると思う。
たとえばブログの名前やプラットフォームを頻繁に変えたり、過去のアウトプットをすぐに削除してしまったりだ。
これは個人的には少しもったいないなと思っていて、継続して続けることによって少しずつ自分のブランドを築いていけるのに、頻繁にリセットしてしまうことでその人のイメージや評価がなかなか積み重ならない状態を作ってしまっている気がする。

アウトプットの内容を試行錯誤する

とはいえ、がむしゃらにアウトプットを続ければいいかと言えばそういうわけでもない。(もちろん好きでストイックにやっている場合は何も問題ない)

アウトプットによって良い結果が得られている人をよく観察して、違いは何なのか、自分のアウトプットのあまり良くなかった点はどこだったのか、というのを常に考え、色々な方法を試してみるといい。

また、他人を研究するだけではなく、自分のアウトプットの中で結果の良かったものとそうでもなかったものの違いを分析してみるのもいいかもしれない。

余談だが、ぼくは公開したアプリが全くインストールされずに落ち込んだが、気まぐれで英語のローカライズに対応したら海外からのインストールが大量に伸びたという経験をしたことがある。
そういうちょっとの工夫で結果が大きく変化することを体験すると、アウトプットの結果が思い通りじゃなかったとしても、イコール自分の作品がなんの価値もなかったとは限らないと思うことができる。

頻繁にアウトプットする

アウトプットを試行錯誤するには、アウトプットのハードルを下げて、アウトプットの頻度を上げるといい。
完璧主義の思考が強い人は、時間をかけて最高の一作を作り出そうとしてしまうが、多くの場合それはあまり効率がよくない。
理由としては、時間をかければかけるほど、短期的な結果が期待通り出なかった時に心が折れてしまうからだ。 特にアウトプットが少ないうちは、出来るだけ頻繁にアウトプットすることで、自分のスタイルを認知してもらうこと、自分の中の期待値を下げること、アウトプットする事自体になれることが出来るとよい。

同人ゲーム界隈(?)には「エターナる」という言葉があり、大作を作ろうとするあまり作品が永遠に完成しなくなってしまうというのはよくある話だ。
完璧に満足していない作品を公開するのは恥ずかしいと思ってしまうが、公開することで得るものは大きいし、何よりハードルを一度下げてしまえば、あとは上達する一方なのだ。下手に奥の手のように自分の力を隠しているよりも、とっとと今のレベルを晒してしまって、どんどん上達していく姿を見せた方が承認も好感も得られやすいと思う。

ただし、これはアウトプットする内容や場にもよるので注意したい。
たとえばブログやSNS、イラスト、動画の投稿などであればたとえ内容がイマイチだったとしてもスルーされるだけなので、出来るだけハードルを下げてどんどんアウトプットした方がいいだろう。(ただし誤った情報を拡散しないような注意だけは必要)

一方で、発表の場が勉強会だったり、カンファレンスの登壇だったり、イベントでの同人誌の発行であったりする場合など、多くの人が期待してくれている場面では出来るだけ自分のだせる最高の品質のものを出せるように力を振り絞った方がいい場合も多い。

そのような場で品質の悪いアウトプットをしてしまうと、逆に自分の評価を下げる結果になってしまう可能性があるし、逆に良いものを出せば多くの人に見てもらえ正当に評価して貰えるチャンスだ。

とはいえ、それでもハードルを上げすぎて何もアウトプット出来なくなるくらいなら、思い切ってやってしまった方がいいと思う。

自分語り

ぼくは子供の頃、作文や絵の宿題をやるのが本当に嫌いだった。
理由は自分が完璧主義だからで、子供である自分には思い描く素晴らしい作品を作る事はできないのに、なにかを作り公開しなければいけないというのが本当に嫌だった。
自分で自分のハードルをどこまでも上げていたのだ。

大人になり、いろいろな経験をし、いつの間にか自分で自分のハードルを下げるという事を覚えていた。
ハードルを上げて何もしないよりも、自分が下手くそだと認めてでも何かにチャレンジする方が楽しいことだと気がついたからかもしれない。

とはいえ、この文章は半分は他人に向けて書いていて、もう半分はすぐに心が折れそうになる自分に向けて書いている。
この文書を書くことで、自分に言い聞かせているのだ。

コントロールしにくい短期的な結果に一喜一憂しすぎない。
とにかく、どうすればもっと上手くやれるのかを一生懸命考え、それを根気よく続けること。

追記:評価されるためにアウトプットをするのか?

アウトプットをする理由というのは人それぞれだ。
純粋に何か生み出したものを誰かに見てほしいという場合もあるだろうし、何か社会的意義や明確な目標もってやっているかもしれない。

そもそも「アウトプット」が何かの定義も曖昧だ。
このエントリで書いた「アウトプット」は、ブログ(執筆)、イラスト、アプリやサービス、動画、ポッドキャスト、登壇などを想定している。(自分がやっていることだ)
もちろん何かをやること自体が楽しくて、もしくは届けたい相手がいて、反響はどうでもいいという場合もあるだろう、そういう人は別にこのエントリの想定読者ではない。

ただ、ぼくの場合はだけども、大抵なにかを公開する時というのはそれを出来るだけ多くの人に届けたいと思っているし、大きな結果が返ってくればモチベーションが上がり次の創作意欲へと繋がる。
たとえばアプリやサービスの公開だって、作ったからには多くの人に使ってもらいたいし、サービスが流行ったら自分の代表作に出来るし、上手く行けば収益化して収入源になるかもしれない。
イラストや動画だってそうだ、作ったものがウケたら嬉しいのは当たり前だし、それが新しいコミュニケーションや仕事に繋がるかもしれない。
そういう風に思ったり期待したりする事は別にかっこ悪いことでも不純な動機でもないとぼくは思う。
そもそも人間には承認欲求がある。

その上で、このエントリで伝えたかったのは、「短期的な結果に依存しすぎない方がよい」「他人からの評価はコントロールしにくいが、工夫して結果やモチベーションをコントロールしやすくすることはできる」といったことだ。