みんからきりまで

きりみんです。

ゲームやインターネットは子供にとって教養や学力を授けてくれるものでもある -元不登校エンジニアの立場から-

こんにちは。
香川県の条例で子供のゲームなどの利用を1日60分程度に制限する条例を検討しているというニュースが話題ですね。

www3.nhk.or.jp

これは昨今また国際的にも懸念が広まっているらしいゲーム依存症などへの対策という側面から考えられたもののようです。
しかし1日60分という内容の厳しさを考えると、実際には依存症対策というよりは昔ながらの「ゲームばっかりやってると馬鹿になる」というような思想があるのではと想像できます。

ただ、このエントリでは直接この条例案の是非や人権面の問題などについて主張する意図はなく、代わりにゲームやインターネットなどに対する自分の経験と考えを書きなぐりたいと思います。
ここで書くことはあくまで自分の経験と見聞きした事に基づく自分個人の考えであり、科学的根拠や統計的な価値のある情報でないことを予め断っておきます。

ひたすらテレビゲームばかりやっていた不登校時代

このブログをウォッチしてくれている人にはもはや周知の事実かもしれませんが、ぼくは小学3年から中学6年までの6年間不登校でした。
更にその後も高校を卒業せず、二十歳に近くなってから社会復帰して今はフリーランスプログラマーとして働いています。

さて、そんなぼくが毎日学校もいかず何をやっていたかというと、基本的にはひたすらテレビゲームばかりやっていました。
小学生の頃は少ないゲームソフトをひたすら何度も何度もやり込み遊んでいたし、中学くらいになると少ないお小遣いで当時全盛だった中古のゲームソフトを大量に買ってはがっつりプレイしていました。
やっていたゲームのジャンルは様々ですが、一番好きだったのはRPGです。スクエニが大好きでPS時代のスクエニ作品はほとんど全てプレイしました。

テレビゲームは総合学習教材のようなもの

テレビゲームばかりやっていると馬鹿になるし百害あって一利なしだと思っている人は未だに多くいるようです。
ぼくが子供の頃はゲーム脳という言葉が流行り、ゲームをやると脳が萎縮するという怪情報が広く出回り親たちが信仰しました。
本当にゲーム脳があったかどうかはゲームで育った今の20代の若者を見れば明らかだと思います。

今でこそ脳トレゲームなどというジャンルも存在しますが、そういうものに限らずテレビゲームというのはかなり様々な能力が要求される総合的な娯楽です。
たとえばRPGをプレイするには一定の日本語の語彙力や文章読解力が必要ですし、能力値や所持金など様々な数値を計算したり、効率的なお金の使い方や戦い方を考える必要もあります。
多くのゲームでは地図を見る必要があり、左右や東西南北をゲームで覚えたという人もぼくの世代では少なくないのではないでしょうか。
ゲームによってはパズルのようなダンジョン攻略があったりもします。時のオカリナの水の神殿に苦しめられた人は多いと思います。 物語には様々な時代や地域を元ネタにした世界が広がり、多くが古典的な文学などをオマージュしたようなシナリオが展開されます。

このように、ゲームをプレイするには様々な能力や教養が求められるし、プレイを通して自然にそれらを学ぶことが出来るようになっています。
読書や映画鑑賞、算数パズルなどが知育として認められるのであれば、テレビゲームはそれらの要素を詰め込んだようなものですしむしろ理想的な知育教材だとすら言えると思います。

ぼく個人に関して言えば、物心がついた頃からスーファミでアクションゲームやPRGをプレイしていて、日本語はゲームで覚えたと言っても過言ではありません。
不登校時代も様々なゲームをプレイする中でたくさんの文章や計算に触れ、必死に分厚い攻略本を読み込み攻略方法を考えていました。
たくさんの物語に触れ善悪について考えさせられたり、様々な国の文化を知ったりしました。

中学を卒業しインターネットが開通してからはネットゲームにハマり、チームプレイやコミュニケーションの楽しさや難しさを学びました。

テレビもアニメも漫画もインターネットも全てが自分にとって学習の場だった

もちろんゲームだけが学習によいといいたいわけではありません。ぼくは学校に言っていなかった分、たくさんテレビ番組をみたり漫画やアニメ作品をたくさん見たり、インターネットで知らない人たちと交流したりすることを通して、本当にたくさんのことを学びました。

今振り返ってみると、日々の生活すべてが学びだったのです。
もしも自分の親が全く自分に理解のない人間で「登校拒否するような子にはゲームや漫画なんて絶対に与えない」という思想であったならば、ぼくは毎日ひがな一日ベッドでゴロゴロしたりぼーっと有り余る時間を潰して過ごしていたことでしょう。
少なくとも自分に関して言えば、たとえ他に娯楽が何も与えられなかったとしても代わりに教科書を読んで勉学に励んだりは絶対にしなかったと思います。

例えば渋滞に巻き込まれて何時間も拘束された車の中で娯楽物はなにもなく算数ドリルだけがあったとして、子供は算数ドリルをやり始めるでしょうか。ぼくはやらないと思います。

何事も乱用すれば毒だし、適度に摂取すれば学びである

ぼくはゲームばかりを一日中やっているのが素晴らしいと言いたいわけではありません。
ゲーム依存症といえるような状態になってしまったら他のことが出来なくなってしまうのは確かだと思うし、単調なアクションゲームやポチポチゲーを何も考えずに一日中やっていたらそれはあまり健全ではないでしょう。

しかし少なくとも1日60分だとか90分だとかいう時間は依存症などというレベルでは到底ないと思うし、その制限下ではむしろ集中して取り組むことはできないでしょう。
また、多少時間を忘れてやり過ぎてしまうという経験は決して悪いことではないとぼくは考えています。
時には狂ったように何かに夢中になるという経験は一生残る思い出になりますし、子供の頃からそういうことを繰り返すことで次第に自制が出来るようになっていくのではないかなと思っています。

実際、大人になった今のぼくはゲーム以外にも勉強や他の趣味などやりたいことがたくさんあるので、自分でゲームをプレイする時間をコントロールするようにしています。

ゲームを禁止してプログラミングを学ばせるという不毛さ

最近は学校教育にもプログラミングが組み込まれることが決まっており、学校以外でもプログラミングを子供に学ばせたいと考えている親御さんは多いのではないでしょうか。
しかしその一方でゲームを禁止したりしているのだとしたらそれは大変滑稽なことだと感じます。

ゲームとプログラミングは非常に似ている部分が多く、能力としては地続きな面があります。
特に最近こどもに大人気のマインクラフトというゲームなどは本当に多くのことが学べるゲームで、夢中になってやり込むと自然にプログラミングに近いことに触れることになります。
プログラミングの教材をこどもに押し付けなくても、マインクラフトを好きなだけやらせてあげるだけで、プログラミングや様々な能力を育てることが出来るのです。

また、子供時代にゲームに夢中になりゲームクリエイターに憧れ、今はプログラマーになったという人はとても多いです。
ゲームはプログラミングによって作られています。そのゲームからこどもを引き離してしまったらプログラミング自体への興味もそいでしまう可能性すらあります。

結局何が言いたいのか

よくわからん。